Nikon S2をお迎えしました

もうしばらくにはなるが、レンジファインダーのフィルムカメラ、Nikon S2をお迎えした。これは私が年頭に挙げた今年の目標のふたつ「ZenzaBronica S2を入手すること」「Nikon S2を入手すること」の一つである。そして、すでに日記に書いたようにブロニカS2は1月に綺麗な個体をお迎えできたのだった。つまり3月にして既に目標を達した。残り9カ月はエクストラステージということで積極的に写真を撮りまくって行きたい。

Nikon S2について、細かなことはすでにいろんな人の口から語られているので、いま改めて私がその歴史や仕様を書き記す必要はないだろう。しかし日記ではあるので、ざっくりとでも記入しておく。(以下めっちゃ早口)

NIKON S型の前身であるNIKON I型はもともと「Nikorette(ニコレット)」の仮称で設計が進められていた。その後審議を経て、より雄々しく力強い「NIKON」という商標は、日本光学工業のカメラ第一号に付され、やがてそれは社名となる。1947年のことである。(それまでニコンはレンズをキヤノンなどに供給したりしていた) ちなみにNIKON I型は商工省の通達により、特殊需要を除いてすべて海外への輸出販売とされた。なので私もNIKON S型がNikonの最初のカメラと勘違いしていたのだった。違った。

NIKON I型は現在普及しているライカ判(24*36mm)と異なり、ニコン判(24*32mm)であったため、世界市場において壁にぶち当たる。当時ポジフィルムでスライドにして楽しむのが一般的であったようで、自動的にフィルムを切断する機械がライカ判でバサバサ切って行ってしまうと、ニコンのカメラで撮ったフィルムは撮影画像が切断されてしまうという事態に陥ったのだった。結果としてGHQは同機の対米輸出を許さず、ライカ判への改造を余儀なくされた。I型は累計738台で生産を打ち切り。しかしボディの鋳型を加工しなおすにしても、36mm幅まで広げることは経営体力的にも納期的にも不可能であった。最大限の加工として、24*34mmにサイズ変更し、フィルム送りをライカ判と同じとすることで輸出への障害は取り除かれた。これが1949年に完成したNIKON M型である。S型はシンクロ接点などの要望に応えた型として改良を重ねたものである。そして、ニッコールレンズやM型が朝鮮戦争時、ダンカンやマイダンス、ハンク・ウォーカーらによってその実用性を評価され、LIFE誌やニューヨーク・タイムズ紙を通じて世界的に日本工学工業という企業のその立ち位置を確かにしていったのは有名である。NIKON S2はそのS型の次機種である。

1954年のライカM3発表によるライカショック(M3ショック)に立ち向かった製品こそがNIKON S2。この型からフィルムの撮影比率がライカ判となった。NIKON Sの距離計ファインダーの明るさと0.6倍のファインダー倍率を改良し、倍率1倍・視野率90%で見やすくなり、ボディも軽量・高精度化が図られた。世界的な評価を得た後の第一弾のカメラが、社内の大きな期待を背負ったものであったのは言うまでもない。しかも、設計も終わり、部品の加工作業まで進んだ段階でのライカショックはまさに衝撃であったろう。そこから仕様改良が入ってS2の仕様が固まったのであった。そして、S2の発表と国内販売は同時に行われ1954年12月、価格は83,000円(50mmf1.4付)であった。ワンモーションの巻き上げレバーや等倍ファインダーは大変喜ばれて受け入れられたという。しかし83,000円というのは当時の月あたりの平均実収入は28,000円程度だというから、カメラは高額なものであったということが改めて確認できる。(「家計調査結果」(総務省統計局)「1世帯当たり年平均1か月間の収入と支出-二人以上の世帯のうち勤労者世帯,全都市」による)

と前置き(めっちゃ早口)が長くなったが、その歴史的経緯を知って欲しくなったわけではない。愛聴しているまきりなさんの動画でのNIKON Sや、NIKON S2の写真や記事を多く書かれているアレモコレモさんの刺激により、欲しくて欲しくてたまらなくなったのであった。見た目がかっこよすぎた。そんなことでいいのか。いいのだ。どんな機体でもレンズでも、いい写真が撮れる確約など存在しない。しかし惚れた機体には扱う喜びが存在する。いい写真が撮れることよりも、機体を愛するだけの心持ちでいられるかが私にとっては大事であった。

それで、いいのが見つかって仕入れられたら…と、いつもお世話になっている写真の文明堂さんにお願いしていたのだ。そしてそれが思いのほか早くやってきたのだった。実際に購入して持ち帰るまでは少しお金の都合などもあって時間がかかってしまったが、いつまでも待って頂くのは不義理であるので、なんとかして一か月以内に迎えに上がった。

少しアタリがあるものの、非常に美しい。レンズはf1.4ではなく、おそらくNIKON Sの標準レンズである5cm f2である。絞り羽根に油が回ってしまっているがこのカメラに関しては動作に問題はなく、前玉の拭き傷も実際撮ってみたが問題なかった。持った時の金属感、重み、軍艦部の魅力的なダイヤル、ファインダーをのぞけば恐ろしく広くクリアな視界、二重像もはっきりしている。シャッターは他のカメラともまた違い、静かながら「ジャッ!」とソリッドな音を立てる。ひい。たまらん。正面からみてもなんと美形か。クソイケメンやんか。私なんかが持っていいのか?今更ながら全国のNIKONファンが激怒するのではないかと危惧している。

そして早々にフィルムを詰め、テストがてらあちこちで撮った1本目のフィルム(FUJIFILM FUJICOLOR C200)現像が上がってきた。

うーん、好き。(クリックしないと圧縮画像で表示されてる様子)

参考文献:『ニコン100年史』(2018.12,株式会社ニコン発行)

ニコン100年史はいいぞ、欲しいぞ。図書館から借りて読んでるけど。

今年は雪も少なく、けど積もったので撮り歩く

北陸住まいも10数年を数えるが、その中でも昨年の積雪は群を抜いて厄介であった。今年は暖冬ともともと予想されていたが、それでも自然は何が起こるかわからない。念のため昨年だめになった合羽の買い替えなどして備えていた。WORKMANのAEGISだったか、あれはいいものを買った。防水のみならず、防寒性能が非常に高い。雪かきすると多分暑すぎるくらいだろうが、中に着るもので調整しよう。しかし、備えに反して今年は殆ど厚い雪は積もらなかった。一、二度だけ屋根などに積もったのが美しいタイミングがあったので、朝に撮りに出かけたりした。

雪が少し降る前、比較的暖かい日が数日続いたせいもあって、多くの梅が花開いていた。そこに雪が降ったのだ。尾山神社へ向かった。

参道脇の紅梅?が目立っていた。私以外にも写真を撮っている人がそこそこに。多分これから観光客も増えてくる時間帯になってくる。そしておそらく午後には雪も徐々に融けてくるだろう。朝いちばんが良い。ブロニカS2でも一枚撮っておいた。が、まだそれは現像に出せていない。

 

 

紅梅も雪とのコントラストが美しいのだけど、私はこの上の薄紅の梅が好きだ。色合いとしては桜に近いが、桜ほどわっと咲いておらず密度がちょうどよい。雪との淡い対比がとても美しく感じる。

 

前ボケをいれつつ紅梅。

 

先の薄紅色の梅と神門を撮る。タテ構図のはTwitterなどにアップしていた。ヨコはちょっと神門が中途半端に見えてしまうか。梅に気を取られ過ぎていて、門のことを忘れて撮った一枚だった。

そのあと尾崎神社方面を抜けて主計町までいったか。金沢の坂でも有名なひとつ。たまたまシャッターを押し込む瞬間に傘をさした人が入ってきた。構わず切る。薄暗がりに鮮やかな水色が差し込んだ。手前の樋と色相がシンクロしたか。しかし人が入る予定がなかったのでピントが甘い。

ここまでNikon Df。

ここからOLYMPUS ACE、フィルムはFUJICOLOR C200。

デジタルとフィルムで切り替えたので場所がまた尾山神社に戻るが、このとき持参していたカメラはDfのほかにOLYMPUS ACE、BronicaS2。ACEがC200のカラーネガだったのでカメラ屋さんでスキャンしてもらったデータから。先ほど挙げていた一枚とほぼ構図は同じなので風合いの違いが際立つ。露出計がないフルマニュアルのカメラなので、Dfの露出設定を参考にしつつ撮ったと思う。一応コンデジを露出計替わりに使ったりもしているが。

青、緑系の色合いが良いと思う。いいと思う、というか私の好みだという話だ。かといってLomoのはこってり過ぎると感じることもある。難しい。当然露出、自然光の色合いにもよるのだろうし。あまりよくわからないで言っている。Dfの写りも当然好きで使っているので、それぞれが好きなのだ。親子丼も海鮮丼も私は美味しくいただくタイプである。

紅梅も撮っていた。なにもデジタルとフィルムで同じような写真を撮らなくてもいいだろう、と思われるかもしれないが、なんとなく撮ってしまう。先ほどの写真とこの写真を見て、ACEは安定している印象が強くなった。30年か40年以上手入れも何もされていなかったとは思えない。私が譲り受けたタイミングで、つまり10年早くメンテナンスしてあげるべきだったかもしれないが。

主計町へ向かう途中、狛犬。もうちょっと雪を止めたかった。1/250だったと思うが、1/500で撮らないとだめか。もしかしたら1/125だったのかもしれない。雪が降っているのを意識的に撮ったのは初めてだからわからないことだらけだ。TLには上手い写真がエンドレス桃太郎の桃のごとく流れてくる。思考が停止しそうだ。

このときのACEのフィルムは、おそらく1月から2月にかけての写真だったが、それ一本を通しで載せてあれやこれや気持ちを書いていってもよかったかもしれない。それくらい、どれもよく撮れていた。まだ私が詰めたフィルムは3本目だが、どうも1本目でいいあたりを見つけたためか贔屓目に見てしまっているのかもしれない。しかし他のフィルムではどうだろう、という気持ちにさせるカメラだ。冷静に考えるとどのカメラも大体はそうなのだけど。しいて言うならFM2に関しては、Dfとほぼ同じレンズを使用しているので少し冷静な目で見られる。ただその慕情に焦がれる主観が時折先走るだけだ。(写りにではなく、本体への)

で、この日撮った中ではドンピシャのイメージ通りに撮れたのが上の写真だった。イメージ通りでいいな、と思ったのがだ。(イメージ通りじゃないけどいいのもあった。梅とか。)石の質感がひんやりしていていい。降っている雪もほどよくはいっていて、シャドウも残っているので雪のもこっとした感じが見えている。よかった、こう撮りたかった。だから私にとっていい写真だ。しかし第三者が見ても、主題も副題もよくわからない写真だろう。見る人のことを考えないとこういう写真になるんですよ、と誰かが言っていると思う。

ひがし茶屋街の中を歩き回るころには、観光客も押し寄せていてとても落ち着いて写真が撮れる状況ではない。急に立ち止まったら後ろからぶつかられてしまう。このときはふっと人足が途絶えて、路地で静かにシャッターを切った。琴だろうか、練習している音が漏れきこえてくるところだ。

帰るころ、また雪の勢いが増していた。さほど残らないような雪だったが、まだ慣れない中判カメラやフィルムカメラ、Dfとカバンから出したり入れたり構えたり歩いたりとそれなりの運動になった。カメラ散歩としては3~4時間くらいだっただろうか。なんだかんだと、以前より長い時間歩いていられるようになったものだ。写真の銅像は雪に積もられ、えらくアンニュイな雰囲気に見えて思わず撮った。よくみたらシャッターのお城が遠景っぽくて面白い。

他にも写真はあるがきりがないのでこの辺で。昨年の精神的に追い込まれていた時期と同じ季節とは思えない。日々消化不良だったり写真が思わぬ当たりを撮れていたりと、気分の浮き沈みが激しいが、趣味を楽しいと思えるのは健康な証拠の一つだろう。

1月の富山写真

1月の休みの日、朝起きて思い立ってすぐに家を出た。富山へ向かった。

富山市内、駅を中心に撮り歩く。富山は路面電車があって、前まで金沢にもそれがあったらしい話を聞くと、少し羨ましい。15年くらい前に就いていた仕事では富山にも来ることがあったので、路面電車に乗ったのはそれ以来だろうか。

Paul Smithの看板から延びる影、郵便ポスト、白い壁。撮るときはそのあたりを見ていたように思う。郵便ポストを撮ることが多い。

図書館と美術館の複合施設、前は中も見て回ったが、今回は外歩きがしたかったので中にははいらず。

 

キャナルパークなるものがあって、要は運河のような公園であった。広くて芝生もあり、市民の憩いの場となっているよう。まだ寒い時期にも関わらず、人は多かった。スタバは行列が出来ていた。温かい飲み物が欲しくもなろう。眺望台があって、そこから四方を見渡せる。私は高いところがあまり得意ではないから、下を見たら嫌な汗をかいた。カメラをストラップから下げていなかったら取り落としていただろう。

遠方に見えるのが立山だ。写真だと薄っすらだが、肉眼で見るとより綺麗に見えていた。望遠レンズはない。50mmと35mmでそれぞれ撮っておいた。

見下ろした広場。

夕方、高速バスで帰った。普段の撮り歩くのとは違うエリアで撮るといい刺激にはなる。しかし独りは相変わらず休憩のタイミングがわからずくたくたになってしまうのだった。

2019.1.14 Toyama, Nikon Df

中判カメラの一本目現像

初めての中判カメラ、ゼンザブロニカS2のファーストロールを撮りきったのが2/1のことだ。FUJIFILMのPRO400H。一本900円ちょっと。すぐにカメラのスターさんにて現像。しかしCD化しようとしたら、35mmフィルムと違って中判は1コマずつ料金がかかるらしい。一番小さいサイズでも300円くらいだったか。となると12枚撮りでスキャン代が3600円!なるほど高くつく。まずは持って帰ってスキャンする写真を選んでからにした方がいいでしょうとのことだった。家にこのサイズのフィルムをスキャンできる装置はない。

一部はプリントするつもりであったので、翌日元々顔を出す予定だった文明堂さんにて3枚プリントする。ネガを見ると、まだ水平がとれていないのがよくわかる。一眼レフなどではもう少しましなのだが。それでもDfでスナップしていると、大抵どちらかにかたがったいる。右上がりが多かったかもしれない。

先の日記に書きそこねてアップしたのだが、私がブロニカ購入に至った理由のもっとも強いもののいくつかが、以下2人である。

アレモコレモさんは私がNikonS2に強く惹かれる要因にもなった方で、モノクロ写真を多く撮られている。写真も好きだが文章も好き、そしてカメラや物欲への向き合い方も好きで、フォローしている。

NRさんのブログはブロニカS2の写真を検索していて見つけたところだったが、見ていって度肝を抜かれた。説明しようがない。すごい。衝撃的に揺らされた。きっと私がブロニカを買ってもこんな写真は撮れない、けれど手にしたい、という強い想いに動かしたのはNRさんの写真であった。

撮りたい、写真を撮りたい。35mmでも、中判でも、デジタルでも撮りたい。私は行為への欲求ばかりが先走るきらいが昔からあって、絵を描く、文章を書くにしても、そうしたいが中身がない、中身が湧いてこないというのが悩みであった。今でもそうだ。激しい行為への欲求。シャッターを切りたい。ファインダーに収めたい。写っているものを見たい。だが何を?多くの人が着実な一歩一歩を進めていくのを、私はいつも横目、後ろから眺めている。何度も嫌になる。皆の眼が、お前はからっぽだ、と言っている。開き直れそうで開き直れない、いつまでも中途半端な子供のまま、私は行為を欲している。

中判カメラ「Zenza Bronica S2」がやってきた

少し日が空いたけれど、その間も写真を撮っていた。仕事、写真、ゲーム、仕事、写真、ゲーム、というサイクルで私の日々は巡る。年末の腰痛はようやく気にならなくなった。腰は大事だ。これから雪が積もると雪すかしもあるので、なおのこと気をつけねばならない。

私が立てた目標の一つ、中判カメラのゼンザブロニカS2を買う、ということについて、年明けいつもお世話になっているカメラ屋さんである写真の文明堂さんに相談に行ったのだった。昨年も欲しいカメラ、欲しいレンズがあったら(なくても)お邪魔しては色々と教えていただいたり、探してきてもらったりしていたのだ。ブロニカS2は店頭分にはなかったので、また仕入れにいくときに探してきてくださるとのことで気長に待つことにしていた。

が、今回の仕入れで思いがけず綺麗なもので私の予算にも合致したものがあったという連絡を受けた。仕事の休憩時間に、別件の電話を掛けたところでそれを聞いたので飛び上がりそうになった。なんてこった。こんなに早く…実感がわかない。

しかしもう喜びで落ち着かない、そわそわしっぱなし。仕事が休みだった1/25に逸る気持ちを抑えながらお店へ向かう。この時考えていたのは交通事故を起こさないことだ。私は大体こういうときに事故に遭ったり怪我をする。今回は無事だった。いつもフレンドリーに話しかけて下さる店員のSさんにまずブロニカを見せてもらう。

私のお願いしていた、ウエストレベルファインダーの、シルバー?といえばいいのだろうか、縁がメタリックなやつだ、あれが欲しいと伝えていた。すごい、私のお願いしていた通りだ。レンズは標準の75mm F2.8。ゼンザノンではなくニッコールである。残念ながらフードは見つからず。これはあわせてお願いするのを忘れていたのだ。

(写真は帰宅してから撮影した。下が真っ白なのはライトボックスだ。そして部屋の照明が昼光色なので色合いがなんだか妙なことになっている。)

一通り操作方法などを聞く。何しろ私は中判カメラを使うのは初めてで、フィルムのセットもやったことがないのだ。フィルムバックの外し方、セット、フィルム送りとシャッターチャージ…チャージのときのガキン、という音、これ大丈夫か?と心配になる。大丈夫なのだ。仕様です。そして引き蓋(フィルムバック取り外し用遮光板)を抜いて、シャッターを切る。ガシャコーン!このインパクトのある音!ウッヒャー!!この日記を書いているのは購入後数日経っているのだが、まだシャッターの余韻が残っている。

フィルムはその感光させる面を意識してセットすると、一応どちら向きにはめるかということはわかるようになっている。間違えないといいけど。

ファインダー、そうウエストレベルファインダーも実際に使うのは初めてだ。実家の二眼レフは結局故障しているようなのでフィルムを通せていない。ブロニカのファインダーロックを外すとバタンガシャコンとメカメカしい覗き窓が組み立てられる。その挙動ひとつで心を揺り動かされるのを感じる。

ちなみにルーペもついており、それはこの状態で少し蓋を閉じるようにそっと動かすと、ルーペがガシャンと起き上がってくる。ルーペをまともに覗いたことがなかったので、ルーペってずいぶん見づらいというかぼやーっとしているんですね、というようなことを言ったら、もっと目を近づけて見るものなんですよと教えてもらった。なるほどそうやってみてみると、細かいピントの追い込みがやりやすい。ううーん、像が、すごい。写真撮る前から、この見えている像の立体感が眩暈を起こしそうなくらゐ、美しい。

昼過ぎ社長にようやくお会いできたので、毎度のことながら骨を折ってくださったことにお礼を申し上げる。フィルムも合わせて購入。フジの160と400を一本ずつ。レリーズも買っておく(Dfでも使えるし)。

Twitterに喜びの報告ツイートをしたら、100人以上の方からいいねを頂けた。100超えるのなんて初めてだ。それだけカメラ、写真を好きな方がたくさんいらっしゃって、さらに他人の喜びを同じように喜んでくれる方たちだってことだ。やさしいせかいだ。でも確かに他の人がカメラやレンズをお迎えしている報告を見ると、こちらも嬉しくなる。

まだちょっとずつしか撮れていないが、実際に使ってみると安定感があるしファインダーのピントも見やすく感じる。安定感があるのはこれそのものが重いからだろう。ストラップ金具がないので、Amazonで注文した。どれを買えばいいかについては、リプライいただいたものを参考にさせていただいた。

今日も少し散歩に出た折、DfやNikomatに加えてブロニカも連れて行った。途中、休憩したときにブロニカでDfを撮影した。1stロールでDfを撮ってあげたかったのだ。うまく撮れているかわからないが…。露出をはかる時、感度を1段間違えていたような気がしてならないのだ。さておき、その撮ったDfとブロニカを交替し、撮影する。距離を測るつもりの左手が、自然とカメラを撫でていた。美人さんだなあ、ブロニカも。私なんかがうまく使ってあげられるかわからないが、よろしくお願いしたい。撮るものに悩みながらの散歩だったが、結局このDfを撮影した一枚で今日は終わった。

思い付き

上手く使えないまま手放したPEN EEだが、一本目のフィルムに関しては光線漏れも激しく、失敗写真と言ってもいいくらいのものが量産されてしまった。二本目の前にモルト張替えをしてもらってそれは解決したのだが、アップしようという気も失ってそのままにしていた写真を、昨夜お酒で酔っ払った私がLrでモノクロにしたり色々触っていたようだ。そうやって翌朝改めて見てみると、そこまで悪くないような気もしてくるから不思議だ。軽い自己肯定キャンペーン(自分内)中なのかもしれぬ。

 

酔った思ひ付きも悪くない。といってもあまり心の切っ掛けは覚えていないけど。