休日を過ごす

vine

午前はひたすらに家じゅうの掃除をしていた。エアコンがまともに動いているのは一部屋だけなので、それ以外の部屋では掃除機をかけているだけで汗がしたたり落ちてくる。黴とりなどもし、なくなった洗剤をメモに書きつける。また補充しておかなくてはならない。

展覧会へ向けて作品づくりをつづける。手を動かせば出来るわけでもなし、かといって何もしないでできるわけでもない。ただじわじわと汗のようにしみ出てくる焦りが、決して創作のいい材料にはならないのはわかってはいるのだが、どうにも流しきれぬ。先日酔って書き散らした一群は読み取ることすら不可能だし、あの中になにかキーワードが埋もれていたらと思う。

以前そうしていたように、眠りに入る前にペンとメモを右手に持たせ、言葉の検討を経ずに書きつけることをしている。だいたい書いているとき、意識は朦朧としてほとんど寝ている。何を書いたか知るのは翌朝だ。もちろん、このやり方で書いたものは作品として成り立つのはほんの一部である。後日それを多少整形し、使えそうなら作品候補に追加する。言葉よこい。

休日を過ごす

手紙

内情

これは静かな写真ではない。どうどうと用水が、一本の用水がたびたびその流れを急にしたり、緩くしたりして、流れの中でぶつかり合って音を立てている。木倉町を歩いて抜けた。台風が来ているらしく、暑さが続いて気が晴れぬ。毎日毎日、三五度を超える暑さで、さらには外はあちこちからの反射熱でフライパンの上をさまようようである。私が落ち着いて静かな写真を撮るのは、この暑さではむずかしいという結論に達した。かといつて、こうして水を観ていたからと言って、涼しくも感ぜられない。

重なる_葉

武家屋敷の塀に触らぬよう、しかし日陰を探すようにして歩いた。生垣は先に云った壁や地面と違って涼しい空気を返してくれる。もともとこの地区は壁が多いが、それにしたつて、最近は生垣も減ってきたやうに思ふ。

緑を見ると、椿を想う。そして葉がこうして幾重にも重なっているのをみて、手紙のやり取りで言葉を重ねてきた友人たちを想う。あるときそれは途絶えた。続けて出してよいものか。迷う。その人にも送りたい、そうでない人にも互ひに許されるならば、送り合いたく思う。

束縛

手紙の束を輪ゴムで留めていなかったろうか。あれはよくない。紙紐かなにかで結わえなおさねばならないだろう。

手紙

雨宝院

雨宝院

金沢は犀川大橋に近くある、雨宝院。先日暑いけれども写真は撮りたく思い、ふらふらと野町方面まで歩いていった。途中犀川大橋を渡ったところの雨宝院で少し日陰を求むる。門前にいらっしゃるお地蔵さんらも頭巾がなくては暑かろうと思う。

暗渠(GRD)

近くの水路を覗き込み写真を撮るが、ガードレールが灼けてひどく熱い。DfとGRD両方で撮り比べてみたが、Dfの方を開放1.4で撮っていたので比較には向かず。暗渠入り口の石のアーチが美しいなと思つた次第。

10年前の瞬発力を取り戻したい、などと思ふやうになるとは、当時は思つてもゐなかった。そのあたりの心情をうまく言葉で整へることができず、何度も同じやうなことを言ふため、愚痴のやうになってしまふのが、聞いてもらつてゐる相手には申し訳ない。

自分の心と呼応した絵を写真として撮りたいという思い、自分の中の音を文字という形で書き起こしたいという思い、その両方が私の原動力であるには間違いない。ということを、最近やっと整理をつけられたところであって、さてそれを実際に作っていけるかどうかは私次第である。暑さと重さが肩にかかる。

8月に小松でグループ展があり、それに参加するので、作品作りを進めているところ。この夏、果たして人は来るのだろうか。来てほしい。

雨宝院