鶴来巷行 #2

山側へ向かう

前の記事に書いたスーパー(マルエー)の脇を進んで行くと、福正寺というお寺を見かけた。私の地元にも同じ名前のお寺がある。字の組み合わせとしては確かに全国に点在していそうだ。そのまま進んで行くと、大谷真宗派鶴来別院に行き当たった。正面の門からはまだ中に雪の山が見えていたのでまっすぐ入るには躊躇した。結局私の意識はまもなく右手の塀の方にとられ、そちらに向かってシャッターを切っていた。

弧塀

緩やかに弧を描きながら奥へと続いている。私はそれに沿って歩いて行くことにした。天気は良いが、雪の上を走ったような冷ややかな空気が素手をなでる。私は鞄から厚手の手袋を出し、左手にだけはめた。右手はカメラの操作の為にあけておく必要がある。

鶴来別院

歩いて数分と経たぬうちに、別院の正面とはまた別の入り口を見つけた。その角度から中をのぞいてみると、本堂がよく見えた。私は建築に明るくないが、見事だなあと息を漏らす。中から近所の方なのかお寺の方なのかわからないが、御婦人が出てこられたので挨拶をし、写真を撮っても良いかと訊ねた。どうぞどうぞ、と答えながらぱたぱたと用事があるのか足早に去って行く。

箱

私の生家の隣には浄土真宗のお寺があり、子どもの頃から遊び場にしていた。といってもお寺のものに悪戯できるほどの度胸もなく、ただその木造の肌に寝そべったり、庭の苔を眺めたり、多くは水場を観て楽しんでいたように思う。そういえば、小学生の頃は日曜学校なんてものもあったものだ。

日曜学校というのは、私の認識では、学校のない日曜日(当時はまだ週休二日制ではなかった)の朝に近隣の子どもをお寺に集めて読経や説教(道徳のようなものだ)、あるいは学校の宿題などを見てもらったりなどしていたのだったと思う。実施する中身については多分お寺によって違うと思う。私は祖父母の意向で毎日家で20時から読経を習慣にしていたので、そういった集まりにも抵抗なく顔を出していた。むしろお菓子などを貰えるということで喜んで行っていた。