前後れに背ひ暗幕なぐ

ソバの花

現状意識のスペーサを鋳型に、細い細い影通しのテアトル。白く運びさらつていく、一人掛けの椅子に暗幕かけしも、ひび割れたる鳥居の色もなく雨は止み。

線条摩擦音

山から望む

私がある地点からあるところへ向かって歩いてゐる、あなたも同様にどこかの地点からあるところへ歩いてゐる、壁にあたると摩擦略取一定の角度に私たちは踵を返し、どこかで交差しては延長する。濃ゆくまじはっては拡張された時間へ、地面へ、進んでは回帰してくフィラメント。そして無数の私とあなたがゆく。

たいふうのあと

雨やどり

いつまで續くのかと思はれた夏の暑さも、近年稀に見る強さの颱風が巻き込んでいってしまひ、元からそこには存在してゐなかったかのやうに、いや元からそれは秋であったかのやうに、空気は一変してゐた。そして数日前からは雨が降り續いてゐる。

休日に傘とカメラを両手に、変はってしまった世界を歩いてみる。変はったのか戻ったのかわかりもしない。強い陽の光と暑さから隠れるようにして過ごしていた夏から、ようやく目に馴染む明るさになってきたのはよくわかる。アスファルトを滑っていくタイヤの音。過ぎ去っていっては耳の奥にしんとした不安をおこす。雨音が塗炭を叩く。

珠

花が…蕾が並んでゐるかのように、雨粒が珠になっていた。空から落ちる雨粒、枝葉に溜まる粒がまた落ちて、その実を揺らしたり消えてしまったりする。葉が受ける音は、屋根のそれよりも控えめで、どちらも私にとっては好ましいものであるけれど、そのさゝめき。好きなのだ。

雨が生む音たち。

 

little

なんの花だらうか。草花に屈む。濡れた緑は艶めかしく感じる。

 

化石のようになって

ずっと遠い日に切られた根本が、そのまゝ残って毎あさ私の目にとまる。

 

rainyroad

傘をさし、傘をさし。


今更ながら、写真について疑問がある。調べればわかるのかもしれないが。レンズの基本性能は開放値の写りがどんなものか、というように聞いたことがある。しかし開放で撮るとボケる範囲が広い。ピントがうまく合わせられない私には難しい。一段絞るだけでかなりカリっとするよという言葉もよくみかけるのだが、例えば開放F1.4のを2.8まで絞ればかなりカリっとした描写になるというなら、F4や5.6なんかまで絞ってしまったりするのは、あまり意味がないのだろうか。私はF4とか5.6まで絞りがちだったのだが、それもあまり根拠がない考えのもとであった。最終的には自分で撮り比べればいいのだろうけど、あまり大きな違いを認識できないのだ。だからどちらでもいい気はするが、一般常識として通っているなら、その理屈を知りたいと思った次第。絞るとフォーカス範囲が広くなる、というような認識ではいるのだけど。