Fallin’

トーン

確かなものを、かたちを求めては。しかしそれで凝りかたまつてしまふのを怖れてゐる。何度も自分の在り方を考へ直して足元を見る。

マクロレンズ

macroNikon Df + AF-S VR Micro Nikkor 105mmf2.8ED

マクロレンズは久しぶりに使った。AF-S VR Nikkor Micro 105mm F2.8である。しかしどうやらレンズが故障しているらしい。絞りが上手く働かないのである。開放F値は2.8のはずが、F3やF4.5などランダムに開ける(表示されている数字として)限界が変動する。Dfとの相性の問題かと思ったが、D200でも同じだったので故障のようである。開放であまり使わないものの、せっかくついているVR機構も故障しているようで、ずっとウィーーーンと言い続けるばかりとなってしまったのでOFFにした。修理代がどれほどかかるだろう。

 

vespa
Nikon Df + AF-S VR Micro Nikkor 105mmf2.8ED

先日朝散歩にてこのレンズをつけて中望遠レンズとして使ってみたが、普段35mmか50mmだったので新鮮であった。個人的に85mmF1.8のレンズが欲しい…が、まとまったお金がないので見送っている状況である。F1.4となると値段も跳ね上がるので、F1.8の方で。

しかしマクロというとこう、ドアップで小さな世界を覗くレンズというイメージが強いが、こうして普通に中望遠的にも使えるし、便利なものである。85mmも欲しいが、60mmなんかも使いやすそう。

好きといい写真と写真が好きと

Window

いい写真を撮りたいと思う気持ちはもちろんあるが、その定義がままならぬので、私はとりあえず自分が気持ちいいと思うものが撮れたかどうかを考える。そうして、次はどんな写真が好きかということを考える。

いろんな写真が好きだ。そしていろんな写真、いろんなタイプのものを好きでいい、作っていい。

つい角度を付けた写真を撮ってしまい、帰って来て見ると面白みを感じられないことが多かったりするが、モチーフに正対した写真を私は好むようだ。そういえば、10年くらい前には『正対写真』と称した塊を何かの作品集として出したいと練っていたこともあった。結局形にはならなかった。しかし今でもこういう撮り方を意識してしたくなることがある。

主計町

しかし私は何でも考えれば考えるほど作るものがつまらなくなっていく。構図の理屈を考えるとそれだけになってしまい、ストーリーも感情も上手く込められないのか。なんでだろう。自分自身の空虚さを突き付けられているようだ。私は写真で自分の見ているものを『説明』したいわけではない…。じゃあどうしたいのか?

写真は誰のためのものか。他人のためではない。じゃあ他人ではないもののため、それは自分自身のためか。なんとなくだが私にとっては、自分自身があとからみたときに、その写真をいいなと思うか、あのとき感じた思いってこんなだったなと想起できるというポイントが大事なのかもしれない。まるでメモのようだ。しかし記憶を『説明』するためのものではない。

写真という媒体とそれに関する行為、器具などにそれぞれ想いがあるため、こうして考えていても並行的にそれぞれの考えていることがある。それをひとつにまとめるのは、小学校のひとクラスを一つの言葉で表現し、その定義に縛るような乱暴さがある。縛らないで言うなら自分が楽しむためとは言えるけれど。

フィルムカメラを始めた。シャッターの音がそれぞれ違う。

風鈴音符列

フィルムカメラを始めた。使うのが全くの初めてというわけではない。能登に住んでいた頃、コンパクトデジタルカメラを購入して写真って楽しいんだなと趣味にし始めてしばらくし、デジタル一眼レフに手を出したころ、お客さんの中には結構長くカメラや写真を趣味にしている人がいたので仕事以外でそういった雑談をすることもあった。そして優しいことに持ってらっしゃるNikonのNewFM2を少し貸していただいたことがあったのだった。そのときに少し使ったくらいか。いや、メンテナンスの方法もわからないままにminolta SR-7をゆずって頂いて一度使ったことはあった。しかし光線漏れの対処をするのがよくわからず、結局デジタルに傾倒していったのだった。仕事も忙しかった上、デジタル一眼レフの操作と写真の楽しさだけでいっぱいいっぱいだったのだと思う。

しかし今になって…そのときに購入したデジタル一眼レフD200に次ぐカメラ、NikonDfを購入してまもなく、Df関係のブログを見ていたらやけにフィルム写真を撮りたくなるものが多くてついに手を出してしまったのだった。それが何度か名前に出したKonicaC35である。ピッカリコニカはジャンク品を清掃して使ってみたし、フラッシュマチックは中古ながら綺麗なもので、中古購入品である。

一つ目のフィルムはピッカリコニカ(KonicaC35EF)のもので、富士フィルム業務用100。二つ目のフィルムはKonicaC35 Flashmaticのもので、富士フィルム業務用100。それぞれが現像があがってきて、デジイチで無理やりスキャン(デジタルデュープというらしい)したのだった。Web上にアップロードした初めての、一枚目の写真が上の風鈴だ。スキャン行為自体がうまくできていないのかもしれない。もともとピントがあっていないのか、それともデュープの際にピントがあっていないのか、カメラ屋さんでプリントしてもらっていないため判断がつかないことに今更気づいたのであった。

stair

そして今日仕事が休みだったので、例によって朝起きてすぐにカメラをもって2~3時間散歩した。午後には3本目のフィルム(これも富士フィルム業務用100)を撮り終えたので、それをもってカメラ屋さんへ。現像だけなので1時間もかからずにできるそうだ。なんとスピーディなのだろう。金沢で自家現像しているカメラ屋さんはもうそこくらいしかないらしい。大体はフジのラボに出すということなのかもしれない。取りに行ってまたスキャン。少しずつ要領はつかめてきたかもしれない。

3本分PCで見てみると、致命的な光線漏れだとかそういうのはないものの、ピントが合っていないものはいくつかある。あとデュープのときに色温度の設定がおかしいのか、画像の色合いをいじっていてもけばけばしいばかりのものもある。もうちょっと自分が勉強すべきところだ。

KonicaC35は距離しか自分で触るところはないので、とりあえず簡単に撮れる。お手軽で、かわいらしくてよい。楽しい。Dfもガンガン使っていて、勿論楽しいのだが、デジタルとはまた違った感覚を得られる。どんなふうに撮れているだろうか、という不安と期待を味わえる。階段の写真はイメージ通りで、明瞭感も思った通りだった。今フィルムを入れているカメラはオリンパスエースで、こちらは露出は自分で決めないといけないし露出計はないので、あがってきたときがこわい。が、楽しい。こちらも20枚くらいまで撮っているので、もうまもなくだろう。

シャッターの感覚がそれぞれ違うのがまた楽しい。D200とDfも違う。D200は衝撃だった。KonicaC35はカ・シーンという静かで、機械的な音。そしてオリンパスエースも静かだが、Konicaともまた違う音で、少し手ごたえがある感じ。ツァ・シャン。

ここのところデジタル+フィルムの写真アップロード枚数が多すぎて、InstagramのTLにバンバン流れている。律儀なフォロワーさんはいいねを押しまくってくださっているので、邪魔でなかろうかと少し不安である。

這い依る

すがる樹木

すがるよに這いずるよに、その手を伸ばして艶めくも水は撥ね。

私を棄てることは出来ない。置き去りには出来ない。横たえたる肌にしずくぴちゃり。

前後れに背ひ暗幕なぐ

ソバの花

現状意識のスペーサを鋳型に、細い細い影通しのテアトル。白く運びさらつていく、一人掛けの椅子に暗幕かけしも、ひび割れたる鳥居の色もなく雨は止み。