神輿巡行

5月連休の終盤、地元の祭りの神輿担ぎのため、帰省していました。神輿はある神社に納められており、4つの自治区(今の行政区分では無いと思いますが)によって交代で巡行されます。つまり、4年毎に自分たちの当番がまわってくると言う訳です。
我々の自治区には昔から分けられている組が6つあり、それぞれの代表者がまとめ役として存在します。そして今回の祭りの担ぎ手のまとめ役として二人、長が選任されます。
神輿巡行は基本的に前から順番に「太鼓」「こども神輿」「大人神輿」と並び、太鼓には子ども(年長)と大人、こども神輿には子ども(年少)と大人、大人神輿には主に中学生以上の子どもと大人が担ぎ手となります。
組のまとめ役と準備方は朝早いうちに神社にて神輿に担ぎ棒を組みます。縄で縛り、上から紅白の布で包む。布はほどけるのを防ぐのと同時に、見た目の「紅白」という目出度さも演出していると思われます。
(私は祝詞に詳しくないのでわかりませんが)神主の祝詞により神輿に神様が乗り移り、それを担いで詠い、かけ声をあげて巡行することで豊作を祈ります。巡行はだいたいのべ10数キロとのことですが、実際は7時間程かけて歩きます。もちろんこのルートは昔から定められており、多くの人が家から出て来て神輿を拝みます。喪中の家の前では、かけ声はあげない。
各所に休憩所が設けられ、そこでは神輿をおろし、世話役の皆さんが飲み物や食べ物をくださいます。特に今年は五月というのに27、8度の炎天下で、水分と塩分の補給は命綱でした。
基本コースを一巡するのですが、自分たちの自治区に関しては二往復する習わしになっています。大昔は三往復していたとか。今は若い大人が少ないので、三往復もしたら神輿が上がらない気がします。それに担ぎ手の年齢層も勿論高くなっており、昔は50も過ぎれば引退しているのが当たり前であったのに、60くらいの方も担がざるを得ないような状況です。
上の方から言わせると、最近はあまり無茶な程元気な若者が減ってしまい、今年の神輿に至ってはふらふらしながら歩いていて心配であったとか。私は左側を担いだり右側を担いだりとしていましたが、時折ものすごく重いときもあれば調子良くいくときもあり、左右お互いからのありあまるエネルギーのような祭り特有のイメージよりも必死さの方がまさっていました。私の普段の鍛え方が足りない(というより運動不足すぎる)だけなのかもしれませんが。
危なげなときは皆で声を合わせて神輿を高く押し上げます。そうして肩を入れ直すのです。力なく神輿が下がってくると、肩をいれようにも低く、なおさら持ち上がらなくなってしまうのです。
体力は行程の半分を過ぎたあたりでほぼ尽きてしまったように思えます。体と神輿を支える残りは、気力しかない。声を出し、お互い気合いを入れ合いながら、神を担ぎます。
最後、出発した神社に着くと、境内を最後の力を振り絞って、駆け回ります。正確に言うと駆けられる程軽いものではないので、さほど速いものではありませんが、中に居る人間からすると、少しでも体が止まれば轢き殺されるのではないかと言う程の、エネルギー、前進力が神輿を中心として沸き上がっているのを感じるのです。
そうして三周すると、神輿は境内の中心に並べられ、また神主さんが詞を挙げられます。こうして今年の神輿担ぎもおわり。
身体中、打ち身の痛み、足の痛み(マメや水ぶくれなど)、筋肉痛と戦いながら帰宅。写真を撮りたかったのですが、さすがに担ぎ手となるとそんな余裕はなし。