雨宿り

最近、時折ふと、以前のことを思い出す。何かの拍子に季節の匂いが昔の記憶を、一瞬のスライドのように引っ張りだしてきて、また消える。それは大抵外を歩いている時で、多くは雨の日だった。私は小学生のある一定の期間、毎週土曜日と日曜日に雨が降るように、ずっと祈っていたのだった。具体的に言えば、小学校三年生から六年生までの間だったと思う。理由は大したことではない。やりたくないことを半強制的にやらされていて、それは雨なら中止になることが多かっただけのことだった。だが当時の私にとって(大層な物言いになってしまうが)、精神的な逃げ道は、雨を願うことだけだった。

雨は望んでやまない物であり、また、私と、私の飼っていた犬との間にも雨の記憶は、冷たいしずくの感覚とともに乾かずはりついている。彼女は本当は人間の言葉をはなせるんじゃないかとすら、思っていた頃だ。田んぼの畦道を歩く、足下をくすぐる冷たい感覚と、足音、犬の急く声、雨音が傘と、水面を叩く音。時間の流れも、ずっとゆっくりだった。戻りたいとは思わないが、いつでも思い出せるようにはしておきたいと思っている。私は匂いにすがりついている。匂いは記憶だ。

私は匂いにすがりついている。