過去日記・散文からの発掘

このサイトはアドレスはいくつか転々としつゝも、1997年頃から續いて来た。日記を飛び飛びながらも書いてきて、それこそ十代半ばの危険な頃から現在に至るまで、内容については過去といふ歴史上から削除したいものも多々あるが、それが逆に自身の創作に使へるのではないか…所謂「黒歴史」と称されるやうなものが、今私の詩作になにか齎してくれるのではないかと、HDを漁ってみた。恐ろしいことにデータは全て残ってゐた。途中MovableTypeなどで作ったデータについては確実ではないが、元々はメモ帳でHTMLを手打ちしていたので、その辺りはしっかり残ってしまってゐる。少しずつ讀み返して、私は吐き気を催した。よくもこれだけの文章を公開してきたものだと思った。しかし今も同じことをしてゐるではないか、まるで成長してゐない…。半分は内臓を抉られるやうな苦痛を感じながらも、もう半分はいっそ開き直らう、これでいゝではないかと自身が呟く。そう、これでいゝのだ。あとは再利用できさうなものを拾ってくる作業である。

今後タグに「過去発掘」としたものは、過去日記や散文からの抜粋である。内容としては日記ではないので、散文として讀むのがいいだらう。

トンビの話

 八年ほど前の話です。(当時日記に書いた文章を発掘したので誤字だけ訂正してここに記録しておきます。)

 夕方犬の散歩をしてゐて、自分の家の畑のあたりにいくと、不自然な羽音が耳に入りました。ふと柿の木が植わってゐるあたりをみると、一羽のトンビが鳥よけのビニルテープに絡まってをります。近づかうとしましたが、さすがに犬を警戒してゐます。犬も興奮して噛み付きかねない勢ひです。私はしばらく彼を見つめてゐました。放つておけば、おそらく明日の朝には絶命してゐることでせう。何かが私に躊躇させてゐました。しかしそれがなんなのか、今でもつてわかりません。

 とりあへず私は自宅へ急ぎ、犬を置いて畑へと戻りました。まだ彼は片方の羽を絡ませたまゝ宙ぶらりんになつてゐました。私が近づくと、やはり警戒してか羽根を乱暴に振るひ始めました。小鎌を取り出し、絡まって張っているテープを切り落とさうとしました。私が武器に類されるものを手に取つたこの瞬間こそ、彼が死に物狂いで私に抵抗する可能性はあつた筈です。しかし私の奥の緊張は、その外周を冷靜に、人為的に取り囲んだ無心によつて囲はれてをりました。やがて、彼を縛つてゐたものが解け、さうして力なく地面の草に落ちました。私はおそるおそる彼の身体を両手で包みました。血が出ています。おそらく何時間もこの呪縛から逃れるために奮闘してゐたのでせう。私はそれを思つて胸が痛みました。

 まだ片方の紐が絡まつたまゝ、私は彼を持ち上げました。トンビは空を舞つてゐるとまるで鷹のやうに大きな鳥と思つてゐましたが、今みてゐる彼は随分と小さく、まるで子どものやうでした。実際にさうだつたのかもしれません。彼はその目をまつ直ぐに私に向けました。
「俺をどうするつもりなのか」
さう問ふてゐるやうでした。
私は首を振り、あなたを迫害するつもりはまつたくない、と云ひました。彼の表情は變はりません。ですが怯えてはゐないやうでした。ただじツと、私の目を見てゐる。私は彼のその表情に凛とした美しさを感じずにはゐられませんでした。

 私は彼を保護するつもりはありませんでした。そのことで私は非難されるやもしれません。傷ついた者に手当もしないつもりか、と。そのとほりだと思ひます。私はおそらくあらゆる意味で薄情なのかもしれません。ですが、私が保護することを望んでも、彼がそれを望むのかどうか、私には自信がなかつたのです。

 それで私は、私に出来るのはこゝまでだ、と云いました。それは、こゝから先は自分で飛び立つか(それができるのならば)、それとも自分で自分の死に場所を決めるかしてほしいという意味でした。少なくとも、人間の罠のなかで、動けぬまゝ冷たくなるのは私としては哀しかったのです。さう云つて、私は絡まつたもう一つのひもを断ち切りました。彼はしばらく動きませんでした。その眼を私は忘れることができません。

 私は、やはり手当してやりたい、という念にかられました。脚の付け根が鮮血ににじんでゐたからです。しかし、トンビはその手を払いのけるかのやうに、不意に地面を蹴り、飛び立つてしまひました。私は尻餅をついて、夕暮れの空を遠く飛んでゆく彼を、しばし茫然と見つめてをりました。さうして、ほっとしている自分に気付きました。飛ぶことができてよかったと。そして関はつた命が目の届くところで消えることを見ずに済んだ、といふことを、言葉にできないまゝ思っていたやうに思ひます。彼は私の弱いこゝろを見抜いてゐるかのように、遠くまで飛んでゆきました。

 しばらくたつたのち、私は鎌を持って立ち上がり、家路へとついたのでした。今でもあのトンビの、私を見つめる眼を忘れることが出來ません。私を縛ってゐるものは何か、自分自身が見つめなければならないのです。