好きといい写真と写真が好きと

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いい写真を撮りたいと思う気持ちはもちろんあるが、その定義がままならぬので、私はとりあえず自分が気持ちいいと思うものが撮れたかどうかを考える。そうして、次はどんな写真が好きかということを考える。

いろんな写真が好きだ。そしていろんな写真、いろんなタイプのものを好きでいい、作っていい。

つい角度を付けた写真を撮ってしまい、帰って来て見ると面白みを感じられないことが多かったりするが、モチーフに正対した写真を私は好むようだ。そういえば、10年くらい前には『正対写真』と称した塊を何かの作品集として出したいと練っていたこともあった。結局形にはならなかった。しかし今でもこういう撮り方を意識してしたくなることがある。

主計町

しかし私は何でも考えれば考えるほど作るものがつまらなくなっていく。構図の理屈を考えるとそれだけになってしまい、ストーリーも感情も上手く込められないのか。なんでだろう。自分自身の空虚さを突き付けられているようだ。私は写真で自分の見ているものを『説明』したいわけではない…。じゃあどうしたいのか?

写真は誰のためのものか。他人のためではない。じゃあ他人ではないもののため、それは自分自身のためか。なんとなくだが私にとっては、自分自身があとからみたときに、その写真をいいなと思うか、あのとき感じた思いってこんなだったなと想起できるというポイントが大事なのかもしれない。まるでメモのようだ。しかし記憶を『説明』するためのものではない。

写真という媒体とそれに関する行為、器具などにそれぞれ想いがあるため、こうして考えていても並行的にそれぞれの考えていることがある。それをひとつにまとめるのは、小学校のひとクラスを一つの言葉で表現し、その定義に縛るような乱暴さがある。縛らないで言うなら自分が楽しむためとは言えるけれど。

フィルムカメラを始めた。シャッターの音がそれぞれ違う。

風鈴音符列

フィルムカメラを始めた。使うのが全くの初めてというわけではない。能登に住んでいた頃、コンパクトデジタルカメラを購入して写真って楽しいんだなと趣味にし始めてしばらくし、デジタル一眼レフに手を出したころ、お客さんの中には結構長くカメラや写真を趣味にしている人がいたので仕事以外でそういった雑談をすることもあった。そして優しいことに持ってらっしゃるNikonのNewFM2を少し貸していただいたことがあったのだった。そのときに少し使ったくらいか。いや、メンテナンスの方法もわからないままにminolta SR-7をゆずって頂いて一度使ったことはあった。しかし光線漏れの対処をするのがよくわからず、結局デジタルに傾倒していったのだった。仕事も忙しかった上、デジタル一眼レフの操作と写真の楽しさだけでいっぱいいっぱいだったのだと思う。

しかし今になって…そのときに購入したデジタル一眼レフD200に次ぐカメラ、NikonDfを購入してまもなく、Df関係のブログを見ていたらやけにフィルム写真を撮りたくなるものが多くてついに手を出してしまったのだった。それが何度か名前に出したKonicaC35である。ピッカリコニカはジャンク品を清掃して使ってみたし、フラッシュマチックは中古ながら綺麗なもので、中古購入品である。

一つ目のフィルムはピッカリコニカ(KonicaC35EF)のもので、富士フィルム業務用100。二つ目のフィルムはKonicaC35 Flashmaticのもので、富士フィルム業務用100。それぞれが現像があがってきて、デジイチで無理やりスキャン(デジタルデュープというらしい)したのだった。Web上にアップロードした初めての、一枚目の写真が上の風鈴だ。スキャン行為自体がうまくできていないのかもしれない。もともとピントがあっていないのか、それともデュープの際にピントがあっていないのか、カメラ屋さんでプリントしてもらっていないため判断がつかないことに今更気づいたのであった。

stair

そして今日仕事が休みだったので、例によって朝起きてすぐにカメラをもって2~3時間散歩した。午後には3本目のフィルム(これも富士フィルム業務用100)を撮り終えたので、それをもってカメラ屋さんへ。現像だけなので1時間もかからずにできるそうだ。なんとスピーディなのだろう。金沢で自家現像しているカメラ屋さんはもうそこくらいしかないらしい。大体はフジのラボに出すということなのかもしれない。取りに行ってまたスキャン。少しずつ要領はつかめてきたかもしれない。

3本分PCで見てみると、致命的な光線漏れだとかそういうのはないものの、ピントが合っていないものはいくつかある。あとデュープのときに色温度の設定がおかしいのか、画像の色合いをいじっていてもけばけばしいばかりのものもある。もうちょっと自分が勉強すべきところだ。

KonicaC35は距離しか自分で触るところはないので、とりあえず簡単に撮れる。お手軽で、かわいらしくてよい。楽しい。Dfもガンガン使っていて、勿論楽しいのだが、デジタルとはまた違った感覚を得られる。どんなふうに撮れているだろうか、という不安と期待を味わえる。階段の写真はイメージ通りで、明瞭感も思った通りだった。今フィルムを入れているカメラはオリンパスエースで、こちらは露出は自分で決めないといけないし露出計はないので、あがってきたときがこわい。が、楽しい。こちらも20枚くらいまで撮っているので、もうまもなくだろう。

シャッターの感覚がそれぞれ違うのがまた楽しい。D200とDfも違う。D200は衝撃だった。KonicaC35はカ・シーンという静かで、機械的な音。そしてオリンパスエースも静かだが、Konicaともまた違う音で、少し手ごたえがある感じ。ツァ・シャン。

ここのところデジタル+フィルムの写真アップロード枚数が多すぎて、InstagramのTLにバンバン流れている。律儀なフォロワーさんはいいねを押しまくってくださっているので、邪魔でなかろうかと少し不安である。

這い依る

すがる樹木

すがるよに這いずるよに、その手を伸ばして艶めくも水は撥ね。

私を棄てることは出来ない。置き去りには出来ない。横たえたる肌にしずくぴちゃり。

蝸牛の存在

蝸牛

蝸牛がゐた。金沢城脇の、樹々に包まれた一本道は涼しく湿り、緑に染まってゐる。蚊が少し気になるが、湿度は心地よい。蝸牛の存在はこの森の原始に錯覚する。渦から草花は生え、樹々は伸び育ち誰もが指を据ゑ。ぐるりと目が回って、中へ。

KONICA S2

KONICA S2

写真はKONICA S2というレンジファインダーフィルムカメラである。見た目かなり綺麗で、前からお店で見かけていて気になったので購入した。が、JUNK品で値段も数百円。なぜなら、絞り羽根が動かないためである。がっちりと閉まったまま(シャッター幕のようなものなのかもしれない)で撮影できない。

ファインダーもレンズも綺麗なのに、もったいない。かといって分解して修理できるかというと難しそうである。機会があるまでインテリアとなるか、保管しておくままか。しかし枠のプラスチック部分はなんともだささを感じる部分ではある。1961年のカメラ。

minolta SR-7

minolta SR-7

ひとつ前の記事に書いたOLYMPUS-ACEと一緒に出てきたのがminoltaのSR-7である。先日SR101を清掃したが、それより古いモデルだったと思う。多分1967年に発売されたものだ。かなりずっしりとした印象を受ける。実際持ってみても重い。

裏ブタのモルトは見当たらない。除去したのか、もともとなかったのか。ミラー近くのモルトが腐食して下部に溜まっていた。これは分解しないと綺麗に出来なさそうである。確か前に一度試写したとき、光線漏れしていると言われたような気がする。裏蓋かあるいは下部に原因があるような気がする。ネットで分解画像を見たが、とても私の手に負えるものではない。外見はある程度アルコール等で綺麗になったが、実用に耐えうるかはわからない。ROKKORレンズは55mmF1.4、黴か曇が見受けられる。ROKKORレンズは比較的安価で評判がいいものもあるらしいから、気になるところではある。フィルム一眼は前に借りたことがあるNikonのFM2Aが欲しいが、一方でASAHI PentaxのSPOTMATICも気になる。minoltaやOLYMPUSも気になるものはある。切りがない。しかし今のうちに買わないと、どんどん市場からなくなっていってしまう気もするのだ。先立つものが欲しい。