いいねと言い合えたことも

魚腥草

D200を買って、写真を撮る楽しさがまた一気に広がっていた頃、同じようにデジタル一眼レフを初めて買って、また同じような心境で写真を撮っていた友人たちがいた。近くに住んではいなくても、夜には常駐するIRCやメッセンジャーなんかで写真を見せ合い、この写真はすごい、面白い、もっとこうしたら楽しそう、あんなふうに撮ってみたい、こんな機材も使ってみたいと盛り上がっていた頃を思い出す。

今は彼らも仕事があり、家庭があり、広がった色んな趣味や時間によって、あの頃のような時間の共有は失われてしまったが、私はたまに脳の薄皮がぺりぺりと偶然はがれるみたいにして、懐かしさが現代に露出してどうにもならなくなる。なにしろ今そういう話をできる相手がいない。当時と違って写真を撮ることは大変カジュアルな行為になり(スマホが理由である)、かといってがっつりカメラを趣味にした人と対等に盛り上がれるほど私は写真もカメラも詳しくないという引け目を持ち続けている。感じたよさを言語化する能力がそもそも高くないというのもあって、あうあうと言葉を失っていいねを押す程度に終わっている。そこから先のコミュニケーションに発展することがほとんどない…。

透かる

なんとなくいいね、これいいね、そんな風にただのボタンでなく言葉で言い合えた懐かしさを、今の皆はただ煩わしいものとしてとらえているのだろうか。別にいいねボタンやらを軽いものとして見ているわけではないが、いつか習慣は形式化していって、その行為一つ一つに想いを乗せることが減っていくように思われるのだ。自分の妄想とは言え、それが少し寂しくある。

いま私は以前から使っているFlickrに写真をアップロードし、そのほかにInstagramにも写真をアップロードしている。二つも使う必要はないのだが、なんとなくFlickrはproのときの名残で使い続けている。proは解約したものの、200枚の制限が撤廃されて要領方式になったので当分は今までのように使い続けられるだろう。

Instagramこそ写真を主体としたSNSではあるのだが、どう使ったものか迷いながらFlickrにあげるもののうちの一部を正方形にトリミングしてアップロードしている。フォロワーさんらがいいねしてくれることに感謝。携帯の写真だけでは物足りないなあと思っていた私も、最近やっとデジカメやらの写真を載せる方法を覚えたのだった。やっと覚えた、というあたりが、自分自身の加齢を感じる。

しばらくはここ個人ブログと、Flickr、Instagramに載せられたらと思う。問題は三日坊主を克服できるかだ。あと暑さ。皆さんも体調に気を付けて。