2006.3.8

夏ごろに撮ってゐた寫眞に比べて、私は、寫眞の中に私らしさを表現できてゐるだらうか? 周りの寫眞、みんなの寫眞、カメラ自体に、私はふりまはされてしまってはゐないだらうか?思ったとほりの畫を撮ることは確かに難しい。自分が納得できるものが本當になかなか表現できなくて、内心ざわついてゐたやうに思ふ。これは、私の中では寫眞にいらついたり、それ以外の現實問題に對する苛立ちとはまったく別箇に存在する悩みの根源である。多分現實的に分析すればカメラに慣れてゐない、そして表現の幅が急に広がったことに追いつけてゐないのだらうと思ふ。私はいま、もがいてゐるのだ…。

それでもたまに、私が夢中で撮った寫眞のうちに、自分を強引に肯かせるやうな畫が撮れることがある。あくまで自分自身を納得させるだけに過ぎないが、暗にそれはスタートラインに立つために必要なものなのだ。

その作品が、おそらくこの日の中にたまたま現れた、三枚目の寫眞である。奇しくも悩んだり、樂しみながら撮ったその日の寫眞のうち、これは一番最初に無心でたゞ風車の寫眞を撮らうと思っただけのものだった。まったく、もがいてゐる私らしい。

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