2005.1.13

『クンパルシータ』

京都は木屋町通から高瀬川を渡ってすぐ、その不思議な雰囲気の喫茶店の看板が目に入りました。『クンパルシータ』。そのまゝ足を店の方に向けて前まで行くと、一人のおばあさんが鍵を閉めてゐるところでした。もう今日はお仕舞いですか、と訊くと驚いて振り向かれ、首を横に振りました。
「今電気をつけますわ」
丁度買い物に出掛けやうとしてゐたところだったらしく、どうしようか迷ひましたが中に入らせていただくことにしました。暗くて、まだ何も見えない。少しして、ふわっと橙のあかりが店内に点ると、昭和の空気がそこにひろがつてゐるやうに感じました。私が昭和を生きて來たわけではないのに、今とは違ふものが在るのを感じずにゐられない。

再びヒーターを点けられ、殘ってゐたぬくもりが再び息を継ぎました。外は寒いですから、この暖かさが有り難い。ひとり、奥のソファに腰を掛けて、周りを見回しました。調度品が素敵なのです。しっかりとしたつくりの諸々、アンティークの薫り。テーブルも、椅子も、照明も。そしてしばしおばあさんと歓談して、彼女がテープをかけました。“La Cumparsita”(ラ・クンパルシータ)。このお店の由來の曲ださうです。樣々なバージョンの録音で流れました。この喫茶店ではBGMはタンゴなのです。プレイヤーの横には山のやうにテープやレコード、CDが並んでゐます。

ブレンドを頼んでから、非常にじっくりと時間をかけて淹れておられてました。せっかちな人はやめてをいた方がいいかもしれません。今年でお店を始めて五十八年とか。あと二年で六十年!驚きました。おばあさんはいくつなのでせう。八十を越えているのでせうか。お店を始めた當時は戦時中で今のやうに問屋もなく、なんとか手に入れた豆も、焙煎するところから始めてゐたそうです。若い女性のお客さんに、珈琲豆は茶色いあの豆が木に成ってゐると思っていた、と言はれて笑ひました、と言っておられました。日本では珈琲豆って殆ど栽培されてゐませんものね。

珈琲を飲みながら、私は馴染みのなかったタンゴをじっくりと聽きました。しかしどうでせう、不思議と私はこの音樂を氣に入ってしまひました。お店の雰囲気に圧倒されたのかもしれません。私自身の音楽の趣味はよくわかりません。このお店に來る人たちは、大抵タンゴには詳しい方が多いらしく、私が殆どわからないと云ふと意外さうな顔をされてゐました。でも、次にかけてくださったレコードは、日本の方がアルゼンチンで一九八二年に演奏したもので、”La Punalada”や、”Recuerdo de luna azul” といふ曲でした。どちらも心地よく、それでゐてどこか高揚させられる、新しい何かに出會った氣分でした。音樂がそれほどに良いのか、それともこの喫茶店の雰囲気が私の心をそうさせるのか。お店を出るときに、また來ます、と云ひ、歸りました。必ずまた來たいと思ひました。でも休みが不定期らしいので、閉まってゐたら殘念だなア。


2016.10.28以下記す

過去の日記からこの散文をコピーして來て、氣になつてネットで調べてみると、このママさんは二〇一一年に亡くなられたといふ。この日記を書いた當時でさへお年を召していらしたので、仕方ないこととは云へ、寂しい思ひです。お店も閉店となりました。