写真の感じ方

2019年9月17日 20:34投稿

常日ごろ、自分の感じるもので結構頭がいっぱいな私ですが、それでもたまに他の人が、どのように他の人の写真を鑑賞して(あるいは見て感じて)いるのか気になることはあります。自分の写真に対して、という意味ではなく、例えばTLを流れる様々な人の写真だとか、写真展で展示されている写真に対してです。その二つに大きな差異があるのは承知していますので、ここで述べていることの多くは前者ということにしましょう。

私は他人の作品を批評しようという思いがあまりなく、自分がそれを見て何か感応するものがあるかどうかということが大事です。感応しますか、イエス。なら、何が私の内部のどこかを揺り動かしたのか。それを探ることが、私にとっての鑑賞行為と言えます。作品を探るという形もとっているようですが、その実、私は自身の心の臓腑を探っています。

要素として拾い上げやすいものは色(色相と彩度)、コントラスト、モチーフ(対象)、視線の誘導、構図またその流れ、モノクロだと階調とその色合い、そして世界観、ストーリ性などがあります。

これらを言語化して自分を納得させる必要はないとは思っています。人に説明する必要がある場合は、言語化しようと頑張りますが、自分に対しては、楽しめたかとかそこに居たいと思ったかとか、居られたかとか、そういうことを問うのみです。作品の中に入るイメージで楽しむこともあれば、外から眺めるイメージで楽しむこともあります。楽しむというのは、気持ちいいと感じたかどうかです。気持ちよさ、心地よさが私にとっての尺度のひとつになっています。

要素として挙げにくいですが、今言った、作品に近づいて(もしくは引き付けられ)といった鑑賞行為の中で、具体的なポイントがわからないけれどもただ居心地がよい、それだけで心酔してしまうような写真に出会うことがあります。不思議とそこまでいく人の写真は、他の写真の多くにも同等の思いを抱くようです。その人の感性の湯水のようなものに浸かっていることに気づかされます。穏やかなものもあれば、ドラマティックなものもありますが、それが世界観というものかもしれません。

自分が好きな傾向を決める必要はないです。ただ色んな人の写真(実際は写真だけではありませんが、ここではそれに絞って挙げます)を見て、浴びます。作者の意図などを無理に汲もうとすると、私の場合は頭を使ってしまうので無理です。私の場合はただ見て、自分自身が何を感じているかを問うのが一番いいように思います。なので、人とのコミュニケーションの多くは言葉のやり取りですから、その中でなんだかんだと「私はこういうのが好きなんですよ」と言うこともあるかもしれませんが、それだけが好きなわけではないのだよと自分には言っています。

作品のバックグラウンドを聞いたり、作者の意図や想いを聞いて何か感じたり、改めて作品を見て思うことは、今回お話した「私の感じ方」というのと別のことです。第一印象のようなものです。そしてそれが作品のすべてというわけではない。ネット上だけでもあふれかえるほどの作品がある中、それぞれにどこまで付き合うかは自由ですし、やり過ぎると疲れてしまうので、ほどほどにするのがいいでしょう。自分自身の作品とはじっくり向き合うことは大事だと思います。

自分の感応するものを日々見ていくと、いや、ものをみているのではなく、感応している自分を見ていくと、特定のいち要素に対してというわけではないことがわかってきます。そんなとき、ひとは、自分の好きなものをどのように説明しているのだろう、と思います。私の好きは多様に渡り、きっと多くの人だってそうなのだろうと思うので、説明しきれないのではと思うのです。

しかし、先日幾人かの方に言われたことで、なんとなく言葉という形になったものはありました。「薄明さんの写真を見るとこういう気持ちになるから好きです」、という表現です。つまり、幾人かの人は私の写真を自分のお腹にいちど置いて、その感じがよいと言ってくださっているように感じました。遠目からでも惹きつけられるとか、目を引くという表現はないし、私自身もそういう写真ではないとわかっています。それでいても、手に取って一度自分の近くに引き寄せて下さっているということが、とても嬉しかったです。(もちろん私の撮る写真はいくつか種類があるので、すべての写真がというわけではなくて)あらためて、私の写真に目を留めてくださった方々にお礼申し上げます。本当なら、お一人お一人に直接お礼を言いたいくらいです。

しかしまた長くはなったものの、やはり言い尽くせていないような感覚がいたします。また似たような話を書くかもしれません。言葉はいつもままならないものです。

それでは、よき写真生活を。