2005.1.6

純粋輪郭描画

描いてゐる繪、すなはち紙は全く見ずに、對象だけを見つめてその輪郭を丁寧に書き込んでいく。その練習を、やつてゐます。例示されたやうに、とてもそれが私の手ではないかのやうに、狂ってゐます。が、幾度かやつてゐると部分部分が寫實的に描寫されてゐることに気付きます。私は性格上、相當な数の自分のフィルタをかけて見て描く傾向が強いので(つまり純粋にかたちをとらへることが苦手なのです)、このやうに自分の手でその存在を作り變へることなく描くといふ作業は、普段と違つていゝものです。

はて、このやり方を何處かで習つたと思つたら、中学の時のT野先生でした。美術の時間、毎回生徒一人を壇上に立たせて十分間、紙を見ずに對象を描く。じつくりと、ゆつくりと鉛筆を慎重にスライドさせながら…。先生の言ひたいことが當時はわからず、まるで暗闇の中を歩くやうな作業でしたが、今半分くらゐは分かる氣がします。だから今やつてゐるんですけどね。もう一度あの頃に戻つてみたい、一日位。

2005.10.20

能登

いつも、職場へと向かふ時は海沿ひを車で走つて行く。

こちらに引越してきて気づいたことだが、海の靑さといふのは殆どが空の靑さを反映してゐるものだ。澄み切つた青空の日の海の色は、それは素晴らしい。そして海と空は遠く果てで入り混じつてゐて、兩者を同時に臨む私の心を鷲づかみにする。ひとの造形物には成しえない種の美しさが、こんな日常の、すぐ傍に在る能登。

2001.2.12

人は一度死に近い體驗をすると、意識的にせよ、無意識的にせよ樣々な考へ方が變はると云ふ。僕もおそらくはその一人に數へる事が出來るだらう。 併し僕の場合、悲しくも記憶力の低下が著しい爲、過去の自分と現在の自分との比較は困難である。日記を付け始めたのも、確か少しでも思つた事でも、であつた事でも 書き留めておく爲だつたはずである。

僕はモノを考へるとき、必ず肯定的な見方と、否定的な見方の兩方から見るやうにしてゐる。 「してゐる」と云っても、それは大抵無意識に行はれてゐる。時間があるときは、背理法のみで 樣々な事を考證してみる。(背理法…ある事象についてその逆に矛盾が起こる事をあらはして それが眞であることを證明する方法、だつたと思ふ) 併しその結果の多くは忘却してしまうばかりだ。

僕の人生は特に、あらゆる事から逃げることで成り立つてきたやうに思ふ。現實から目を背ける事で 今までやつてきたやうに思ふ。それがたとえ他人からは努力のやうに思へても、自分の中の聲はとまらなゐ。 非難は何處までも續く。最も日常的にしてゐる大きな「逃げ」は、記憶の忘却である。 特にそれが多く無意識に行われてゐるがゆゑに、僕の本質をあらわにしてゐる。 最も、記憶の忘却と云へども、それは適當な表現ではなからう。なぜなら、それは僕の中から完全に消えてゐるのではないからだ。 僕は、無意識に自分が必要でないと感じた(或は邪魔とする) 記憶を放棄していつてゐるのではないかと思ふ。日常に於いても、過去の記憶は薄まり、かはりに都合の良い、作り出されたヰメヱジや記憶が插し込まれてゐる所為で 僕はしばしば困惑するのだ。或は自分を見失ふ。それが自分自身によつてなされたことであるにもかかはらず。

しかし自分を見失ふと云ふのは間違つてゐる。なぜなら、たとえ記憶が表面に出てこなくとも、 過去に基づいたこの人間の總體が、あらゆる面で僕と云ふ人間だからである。器によらずとも、 我々は自分と云ふものを見失う事は出來ない。我々は透明人間ではないのだ。 だが一方で、自分を把握すると云ふ事は他人を理解するのと同樣、實に困難な事である。 世の中には自分を把握してゐない人間は多いが、それは決して独りでは為す事が できぬ作業であるからだ。自分を識別化すると云ふのは、自分をしつかり把握すると云ふ 意味合ひの裏に、他との相對化をなす事でもある。 他が存在する以上、自分と云ふ存在は消えない。

人は、自分にない物を求むる。それは一種の欲ではあるが、それによつてこそ、 他人を敬ふ氣持ちは生まれてくるのではないか。而して持つてゐるものにすれば、持つてゐない事が 持つてゐる事になることさへある。

文章と云ふのは、實に特殊な物ではあるまいか。私が思ふには、人間誰であつても なにかしらの才を持つて生れてくる。而して成長の過程で半數以上がそれを周圍に押しこめられ、 潰されてしまふ。(なかにはその才能の所為で他者からの迫害を受ける事もあらう) 一方半數の人間は環境や偶然によつてそれを上手く利用し、 自分の人生に役立てる。

その小さな一角に、現在藝術文化と呼ばれる分野があるとしやう。その中の 代表的な物に、「繪」、「音樂」、「文學」などがある。この三つの例を使つて云ひたき事が ある。それは、文學はある種才能によつて限定されてゐる分野ではないか、と云ふことである。 僕の短い今までの人生の中での考察は、終始困惑や驚嘆に滿ちた物であるが、 どうにも洗練する事は出來ても、元々無い物を伸ばす事が出來ないのが「文章」ではないかと思ふのだ。 繪や音樂と云ふのは、頑張れば頑張るほど、その技術は伸びる。たとえ伸び惱みがあつても、 前進的な練習となる。併し文章にこと關しては奇妙なシステムの違ひがある。 とりわけ生活に缺かせなゐ物だからこそかういつた困難を伴ふのかもしれないが、 私はそれを學習すればするほど、自分が持つてきたはずの物を失つてゆくやうな錯覺に襲はれる。 繪や音樂と云ふのは、基本的に失ふ事はなゐと思ふ。もちろん基本的に、だが。

――突然、何かが消える。
そうして僕はこれ以上文章を書く事が出來なくなる。
僕は一體何が云ひたかつたのだらう?


以下2016.10.28に記す

さて、十五年といふ月日が經ったいま、改めて過去の自分に返答しやう。受驗に悉く失敗し、家庭における不和にストレスを感じ、文章を推敲することもできずにただネットのテキストスペース(つまり私の、あなたの、スペースだ)に感情を叩きつけてゐる。十代の奇妙な萬能感と無力感が見事に自分の内部をぐるぐると巡って、行き場を失ってゐる樣が、改めてよく分かる。そして書いてある内容に本当に現實的な意味合いはないんだらう。だつて、私のさういふところは、今でも變はつてはゐないからね。

文學は才能によって限定されてゐるのではないかと君(私)は云った。しかし十五年經ったいま、私はさうは思はない。文學も繪も音樂も持ち得た感覺がむしろダイレクトに表れる分野だと思ふよ。しかしその三つ、いずれもやはり經驗と修練で磨かれるものではあると思ふ。あなたがなぜそのような結論に至ったのか、今の私は理解できない。しかしさう思ふなにかがあったのだらう。そして最後の方に云ってゐるが、「磨けば磨くほどそれを失っていくやうに感じる」といふ、それ、それは今も私に取り憑いてゐる感覺のひとつだ。惰性といふには恐怖を伴ひ、精神的な疾患といふには現實的な被害が感じられない。熟慮の末、自分がそれまで何について考へてゐたのか見失ふことも、今も變はってはいないよ。

高校生の時点で、物事を一歩引いた客観的な視点、俯瞰したものの見方を身に着けていたとしたら、それはひとつの良い点だと思ふ。しかしそのことで上からひとやものを見てしまふと、いけない。それは客観的ではなく、思い込みだ。滑稽な思ひ込みだ。さうしてその後、君(私)は色んなものを見落とし、見失ひ、寂しい思ひをすることだろう。あと、私はそこまで客観的ではない。最終的に、否定的な物の見方に落ち着いてしまふ。

改めて自分の過去の文章を讀むと、本当につらい。つらいが、面白い。今更だけれど、私はあまりに個人的な情報を日記に書きすぎだった。さうして私生活を暴露することが、見に来る人の歓心を買ふ手段だと思ってゐたのだろう? たしかに其れは一つの手段ではある。けれどかうして十五年後の自分の言葉で云へば、「みっともない」ことだと思ふよ。これがまた、この文章から十年とか二十年經ったら、違ふ表現をするのかもしれないけれど。

2004.12.12

傳へること

上手く傳へられないことがあります。

美術の時間に、デッサンをしてゐましたが、見えてゐるものをそのまゝ描くといふことは実はとても難しいことなのだ、とその時初めて知りました。絶対と言ってもいゝ、私の技術では見えるものをそのまゝ描くことはできないのだと。見えてゐるものと、描いたものは、似てはゐるけれど自分の思ってゐるものではない。訓練によってそれは100%に近づくだらうけれど、實に、實に難しい。

さういふ感覺です。人に対する氣持ちや、色んなものも、似てゐます。確固としてある”もの”の存在は把握できてゐるのに、表現することは實に難しい。とてもはっきりしてゐて、私を強く捉えてゐるものなのに。

そして今は、自分がどうすればいゝのかさへも悩んでゐる。永くおぼえなかった感覺で、戸惑いも隠せない。私はどうしたらいゝのだらう。

2004.11.10

犬の散歩をしながら、足早に訪れる夕闇と去りゆく陽を思ふ時は、 過去に出會った人々と今再会したら、彼らは私のことをどう思ふだらう、 と考える。私のことを變はってしまったと言ふだらうか。 五年、或いは十年。その時間は私をきっと變へてしまってゐるはずだ。 一般論を言へば、根の部分は變はっては居ない。だが、彼らが私の根っこの部分を知ってゐるとも限らないから、きっと彼らの言ふのは 心からのことなのだ。私の身体は少なくとも、五年前よりはアルコールに 對して強くはなってゐる。だが、その分ときどき、ひどくそれを欲する。 酔ふことで現状の苦しみから逃げることもある。それは以前はできなかったことだ。決して強くはなってゐない。私自身は。それでも昔より 大人になったと言へるのだらうか?私の好きなものは變はっては居ない。 電線に切り取られてゐない空、冬に近づくにつれ香りだす静かな土の匂い。 心を乱さない静寂と、心を揺さぶる風。どれも、私は決して忘れることは できない。

2004.8.31

昨夜は酷い雨と風でした。ゴウゴウ、ビュウビュウと、吹きすさぶ風は、なにかにぶつかってもがく、私のやうでもあり、 この家を壊さむとしてゐるのではないかと、思ってしまふほどの勢いでした。そんな中、私はなかなか眠りに就くこともできず、 うすぼんやりとした部屋の中で、脳裏に浮かぶ誰かの姿を見とめては、或いはそれは幻像にしかすぎないのかもしれませんが、 自分が何かを求めてゐる、ぽっかりと欠けた何かを求めてゐる自分に気付かざるを得ませんでした。

やがて昏々とした意識の闇が、ゆったりと私を包むのを感じました。その境目に立っている不思議な意識は、 まるで自分以外の何かが、自分の奥底に眠ってゐるかのやうに錯覺させるのです。水音、風の音、音ならぬ音が沈み行く自分とすれ違ひ、私はそれを見送ります。そして現實の風の音が、時々不意に私を意識の海から吹き上げて、夜中の時計が次の数字を示すのを視界に捉えては、また現實の薄暗さのなかにたゆたふのです。

時折夢を見ました。木々が鬱蒼と茂ってゐる、森の夢です。或いはそれは山なのかもしれません。私はそこにゐます。 見上げなくとも、空が曇ってをり冷たい雨がずっと木々に降りしきっているのを私は知ってゐました。 私の夢はいつもこの薄暗さの中にあるからです。いつしかそれは雨の日の薄暗さということに気付きました。 そして誰かの聲が聞こえます。聲はこう言うのです。
「…あふれるじゃないか」 「籠を…」 「…あの女」 「灰色だ」 「いずれにせよ、黒い」 「食べるのはよそう」

彼らの聲が断片的に聞こえると、また意識は分断されて、別の眠りへと飛んで行きます。さうして聲の断片が痛みもなく私の中に 突き刺さってゐるのですが、現實に戻った頃にはそのような傷跡は消えてなくなってゐるのでした。